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『生誕100年! 植田正治のつくりかた』@東京ステーションギャラリー【展覧会紹介】

ueda1幾度となく新しさを再発見され続ける芸術家に共通する特徴のひとつは、あるときは全くの時代遅れとされるほどに独特な表現のスタイルを持っていること、でしょう。そのような時勢に乗らない創作手法は、ある時代には鈍重で、才のきらめきに欠けるように見えるものです。

写真という技術は社会の近代化のなかで芸術として認知されたものですから、飛び抜けて時代の息づかいに敏感な表現手法と言えるかもしれません。長い伝統に支配されたスタンダードというものがありませんから、今も常に新鮮な感覚を受容できる器であり続けていると思います。

しかしながらこの芸術は、捉え方を間違えると、流行を追って右往左往する表現者自身の姿をあからさまに見せつけることにもなる、というわけです。 植田正治は、その対極にある写真家でした。

〈植田調〉のゆくえ

1930年代にそのキャリアを開始した植田は、当時主流であった「芸術写真」(この表現もなかなか考えるべきところがありますが)と呼ばれた絵画的手法に対し、「新興写真」というシャープでモダンな写真表現スタイルが勃興し凌駕していくプロセスにいきなり立ち会うことになります。キャリアの初期にあってこの写真表現の大きな変革を目の当たりにした植田の手法は結局、スタイルに対するニヒリズムとでもいう姿勢が貫かれているように思われます。自分は自分。「芸術写真」が古臭いと言われようと、「新興写真」の時代があっという間に去って行こうと、そこから学び形成された独自のスタイルは最終的に「植田調」と呼ばれることになり、ついには海外でも〈UEDA-CHO〉とそのまま翻訳されて表現されることとなります。

それは「芸術」や「新興」という大雑把なひとくくりには全くなじまない、単なる技術的写真手法を越えた、総体としての彼のヒューマニスティックな視線そのものを表現する言葉であったと言ってよいかもしれません。

戦後の写真表現は、「政治的季節」となった社会状況のなかに有効なメディアツールとして投げ込まれ、それと共に歩むことが主流となりました。いや、むしろいつの時代もこの芸術表現はそういうものであり続けたのかもしれません。
しかしとりわけ〈絶対非演出〉(土門拳の言葉)で対象に肉薄し、隠された真実をスナップによって掴み取るのが写真の権能であるという主張に、この季節は最適の場所を与えてくれました。多くの写真家が嵐のように写真を撮り、表現の渦を巻き起こしました。そして植田は、鳥取の地でただただ砂丘と周囲の人々を撮り続け、ひたすら写される対象との穏健な距離を保持し続けました。

砂丘とヒューマニズム

ueda2植田のモノクローム写真の美しいハーフトーンには、同時代の日本人写真家には見られない官能的な力が感じられます。オリジナルプリントの意義をこれほど感じる写真家は他にないと言ってしまいたいほどですが、そのような中間域のふくらみを活かす素材として、植田が生涯撮り続けた鳥取砂丘ほど最適なものはなかったでしょう。彼はただ単に鳥取砂丘を風景として美しく捉えようとしたのではありません。彼の作品に現れる砂丘は、脳裏をよぎるさまざまな表象が投影される、夢幻のなかのキャンバスのような形で私たちの前に立ち現れるのです。

このことは、彼が何度も「再発見」される理由を探る上での鍵とも言えるかもしれません。

山陰の小都市で生涯を過ごした植田は、リアリズム重視のスナップ写真全盛の一時期には、写真界の中心から忘れ去られたような日々を過ごします。
70年代、写真界においてスタイリッシュな作画手法が大きな流れのひとつとなったとき、すでに60歳に近かった植田はその流れの源にあった作家として復権を果たしますが、「絶対非演出」ならぬ「絶対演出」を貫いた一部の作品において、その重要な舞台となったのが砂丘の風景でした。彼の優れた造形感覚と家族や周囲への暖かな視線に満ちた表現は、余計な夾雑物のない抽象的な風景である砂丘を舞台にすることによって、あきらかにフィクションとしての緻密で前衛的な写真演出であるということがあらかじめ保証されるのです。作品が対象の勢いや状況に左右されないのであれば、作家の創造力が高度なものであるかぎり、それは古びようがありません。
これが、前述の〈鍵〉のように思えるのです。

ueda3時代に左右されることのない創造感覚は、晩年に近くなってさらにファッション界によって「再発見」され、植田の写真はまたも最前線に躍り出ます。
常に新しさを発見されるのは、フィクションとしての演出が、もともと他者に対する愛に裏打ちされた、植田独特のものであったからでしょう。「リアル」に保証された「慈愛に満ちたフィクション」――それこそが彼の写真の核心であるように思えます。

展覧会の最後には、植田の死後カメラから発見されたフィルムから発見されたカラー写真が数点、初めて公開されています。写真家が末期の眼で見たものは、このような風景なのか。その夢幻のように美しいプリントを前に、私はしばらくその場から離れることができませんでした。彼自身の表現がいかにして形成されたかということはもちろん、芸術における手法とはどのように成り立ち、消費され、また消えていくのか。ひとりの芸術家の生涯を通して、さまざまなことを考えるきっかけになる展覧会のように思えます。

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『生誕100年!植田正治のつくりかた』

会期:2013年10月12日(土)~2014年1月5日(日)
会場:東京ステーションギャラリー
開館時間:10:00 – 18:00
※1月3日を除く金曜日は20:00まで
※入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日[祝日の場合は開館、翌火曜休館]、12月29日~1月1日
入館料:大人900円 高大生700円 小中生400円
※20名以上の団体は100円引
※障害者手帳等を持参の方は100円引、その介添者1名は無料
主催:東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)
監修:金子隆一(写真史家、東京都写真美術館専門調査員)
協力:植田正治事務所
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