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『「具体」――ニッポンの前衛 18年の軌跡』展@国立新美術館【展覧会紹介】

「具体」という、野太い単語に惹かれて何も知らず六本木まで赴いた人は、あるいはこうおっしゃるかもしれません。
「おいおい、具体というけども、ここに並んでいるのは、抽象絵画ばかりではないか!」
なるほど。
実に不思議ですが、そうなのです。

「制度」から生まれ出づる「前衛」
この素朴にパラドックスめいた名称は、「具体」という前衛美術グループにつきまとう数々の不思議な逆説を、もっともわかりやすい形で最初に提示しているのかもしれません。
具体美術協会、略して「具体」は、1954年に戦前から前衛作家として活動していた兵庫県芦屋市在住の吉原治良と、彼に指導を受けていた阪神地域の若い作家たちによって結成されましたが、この構造は、またきわめて「前衛的でない」ものでした。裕福な家庭に生まれ、旧制中学で「白樺」とその周辺の自然主義的ユマニスムの洗礼を受けた吉原の価値観は、素朴な大正教養主義と、戦前の阪神間モダニズムによって培われた、いわば明治日本を足場とする豊かな戦前型の教養人のものであり、彼を純然たる指導者として戴くことで終始した「具体」というグループは、これも純然たる「師匠と弟子たち」の空間です。そこには同時期の東京の芸術運動団体の間に流れていた一種殺伐としたムードは欠片もありません。
集団として見れば全く前衛臭のないこのグループは、しかしながら、明らかに世界レベルで最前線の位置にあり、印象的な作品をコンスタントに生み続けたのでした。

時を経て凝縮していく「新しさ」
「具体」の作品のなかでまず目を引くのは、現在ではインスタレーションと呼ばれる作品の一群でしょう。
1955年に行われた「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」は、その気負いに満ちたタイトルとは裏腹に、あまりにのどかな、どこにでもあるような芦屋市の公園が舞台となっていました。
うららかな松林の間にぽつりぽつりと配置されたそれらの作品はしかし、周囲のお屋敷町の風情とは裏腹に、不安定で不調和な、都会的な息苦しさを伴っているように思えます。そして50年以上の時を超えて、それらの作品を改めて現在の美術館の冷ややかな展示空間の中に配置してみると、さらに俄然凝縮度の高まりを見せるように思えるのです。結局彼らの作品が持つ強さは衰えることがなく、「前衛度」は時間の経過とともに陳腐化することもなく、むしろその「強さ」という事実自体が時間をテーマにした手の込んだコンセプチュアルな芸術作品の核心である、といったような事態が生じているのかもしれません。
バネを仕込んだ不安定な踏み台を組み合わせ、身体全体で感じる嶋本昭三の作品。赤一色の蚊帳状の立体が吊られ、下部の隙間から入って赤色の空間を体感する山崎つる子の作品。円筒の中に入り、狭い天頂から切り取られた空を見る村上三郎の作品。色とりどりの液体を無数に吊り下げた元永定正の作品。会員の一人、白髪一雄は彫刻家の流政之に「お前たちのやっていることは思想もなければ時代性も作品に反映されていない」と指摘されたと回想していますが、まさにその通りで、もし彼らの作品に当時の時代性が反映され、また何かの「イズム」が反映されていたとしたら、いま彼らの作品に接する折にもたらされる新鮮な驚きもなく、ただ文脈の中で分類されるに過ぎないものになっていたでしょう。つまりそれらは美術館ではなく、博物館で見る方がふさわしい、世相を反映したものになっていたであろうということです。
流の指摘する、彼らのある種の「芯の無さ」は、進歩的な芸術が世相を批評することに大きな価値を持っていたような時代にコンセプチュアル・アートを実践することの難しさを感じさせます。現在でさえ時に「意味」がわからないとされるものが、「意味」を強く求められた時代にどれだけ成立の困難を伴ったかは想像に難くないのですが、ここにひとつの転機が訪れます。フランスの美術評論家ミシェル・タピエが偶然彼らの作品に目を留め、世界の前衛の場に「具体」を引っ張りだしたのでした。

経営者のいる芸術集団
タピエは当時の日本の誰よりも「具体」の活動全体を正確に理解しましたが、その活動を紹介するにあたっては、やはり平面作品が中心になったのは無理からぬところでしょう。海外への通信もままならぬような時代に、移動して展示できるのは運搬に利のあるタブローに限られたでしょうし、実際今回の展観を見てもわかることですが、当然ながら平面作品においても驚くほど革新的な作品が次々と制作されていたのです。
吉原の戦略は、グループとしての最初の作品を東京の読売アンデパンダン展に出品したことから見て取れるように、あくまで自己満足に陥らず、確実に「売り出す」というというところに根拠を置いていました。つまり、東京がアートシーンの中心ということを十分踏まえていたということです。これは彼が企業経営者としての一面を持っていたことにも起因するでしょうが、引き続き海外進出のために彼の取った戦術は、会員たちの作品をほぼ平面作品に特化していくという単純かつ強力なものでした。大袈裟にいえばここにも冒頭に申し上げた、前衛ならざる封建的な師弟関係の絶対化という逆説めいたありようが姿を表しているようにも思えますが、タピエとの協働のプロセスにおいてこれは功を奏し、東京のアートシーンを飛び越えて、「具体」とその作品は海外へ知名度を上げていきます。
しかし吉原の戦略は、海外に認められたという時点で立ち止まるものではありませんでした。

新陳代謝する芸術集団
アンフォルメルな平面の抽象造形が主流を占め、さらにそれが価値を認められるようになると、当然のことですが、様式化が始まるようになります(何かの作品を見て、「グタイっぽい」という感想が漏らされるようになるということですね)。その瞬間、前衛を前衛たらしめる価値は消え、自己模倣が始まります。
ではこの矛盾に対し、いかに処置するか。
かつて多くの芸術家が個人的に悩み抜いてきたこの問題に、吉原は集団としての解を与えます。
吉原は会員の皆が大家となる道よりも、グループがグループとして前衛に位置し続けるという道を選んだのでした。1965年の第15回具体美術展を機に、新しい抽象表現を取り入れていた作家たちを大量に会員に迎え入れ、ベテラン会員たちも呼応するようにその作風を劇的に変化させます。
と、そう表現するのは簡単ですが、これがどれほどの痛みを伴うことであるかは想像に難くありません。しつこいようですが、今回展示されているこの時期のどの作品を見ても、相変わらず「新しい」。自己の表現の完成よりも、常に革新的であろうとハイリスクな表現行為に投企する勇気は、「具体」の会員たちに共通する美質であったように思います。そしてそれは「人のまねをするな」「今までになかったものを創れ」という、吉原の素朴かつ単純な、しかしながら強いメッセージが会員たちを統制していたからに違いないのですが、この道徳的ともいえるメッセージにはやはり、芸術というものの価値を無条件に信奉する大正教養主義の反映――いや、余塵という方が良いでしょうか――を感じずにはいられません。

オイルとマネーとアートの関係?!
グループとしての「具体」は、1970年の万国博覧会における、一種ユーモラスともいえるステージ・パフォーマンス「具体美術まつり」を花火のように打ち上げ、その後の吉原の死去とともにあっけなく消え去ります。「道徳」をもとにした人格的支配が束ねる力であったわけですから、これも当然の流れでしょう。
すべての芸術運動と同じく、吉原は「具体美術宣言」という綱領を高らかに謳い上げていますが、その文章の半分以上はメンバーの作品の紹介に割かれています。吉原にとって芸術運動とは、まさに具体的に作家そのものです。彼らの驚くべき斬新さを支えたのは吉原の素朴な道徳であったには違いありませんが、彼の芸術思想の根拠はあくまで個々人に置かれていたのであり、その道徳は一方的な支配のイデオロギーではなかったように思えます。各々の作品の驚くべき自由さは、今回の会場で検証していただく他ないでしょう。

吉原治良の芸術活動の、思想としての根拠は「道徳」であったとして、ところでその活動自体の根拠は何にあったかといえば、吉原製油の御曹司、経営者としての資金力にあったかもしれません。
私の幼少時、我が家では母親が吉原製油の「ゴールデンサラダ油」をずっと使い続けていましたが、それが目の前の「具体」の作品と活動に結びついていると埒もない夢想をしながら会場をうろうろ歩いていると、これらの既成概念を打ち破る作品群の成立に一家でひそかに加担していたような、なんとも愉快痛快な気がしてくるのでした。

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国立新美術館開館5周年
「具体」-ニッポンの前衛 18年の軌跡 GUTAI: The Spirit of an Era

展覧会Facebookページ: http://www.facebook.com/gutai.nact

会期:2012年7月4日(水)~ 9月10日(月)毎週火曜日休館
時間:10:00 ~ 18:00(金曜は10:00 ~ 20:00)※入場は閉館の30分前まで。
会場:国立新美術館 企画展示室1E
主催:国立新美術館
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