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『その森の子供』ホンマタカシ

キノコはまるですべて“奇形”にみえる。この展覧会のキノコを見た後では、ぼんやりと自分の中にあったはずの“正しいキノコのかたち”をあらためて想像することすら危うくなる。いや、そもそも“正しいキノコ”のかたちというイメージを自分自身が以前に持っていたかどうかすら、疑わしくなる。その記憶ごと奪われてしまうのだ。

この展覧会のキノコたちについての情報は、一応のところ「出展作品が撮影された森は、高い放射線量が検出されたため野生のきのこを食べることが禁じられた場所だという」とまるで伝聞のような文体でそっけなく与えられているが、真っ白い雪の上に鹿の血(のようなもの)が点々と残された状況をとらえた「Trails」同様にその信憑性は疑わしい。

しかし、一旦、放射能を浴びたキノコ、として差し出された被写体はもはや、そのあったはずの“もとの正しいすがた”を確信を持って示してくれることは二度とない。
“本来そうであったはずの正しいもとのすがた”のイメージが失われ、永遠に欠落したままの回復不能なものとして意識に存在し続ける「現象」は、放射能汚染された街や、放射能を浴びた人々、そして影響の深刻さがつとに懸念される子供、さらにキノコの形状がいやおおうなしに象徴する生殖という営みにおいて、いままさに進行している“傷ついたイメージ”の不可逆性のメタファーである。と同時に、本来あるべき“もとのすがた”が、いかにはかなく幻想的で信憑性のないものであるかを意識的に経験させる行為である。

土にまみれたまま置かれ(また置いた時にこぼれ散った土もそのままに)半ば暴力的な扱いを受けているようにも見えるキノコ。そしてまだ柔らかい皮膜に覆われ、愛らしいかたちをした木の子どものようなキノコ。そして肉眼ではとらえられないがその内部でゆっくりとなにかが起こりつつあるような宇宙的な静けさをたたえるキノコ。
虚構と現実の境界を無機質な視線と温度感のない距離でとらえてきた写真家ホンマタカシが、「放射能に覆われた」ことへの認識論的動揺と、「そうであるはずのもの」として確かにとらえていたはずの「過去(=以前)に持っていた未来(=現在)へのイメージ」の記憶喪失、という事態のなかで見出した、まったく新しいモチーフといえるのではないだろうか。

『すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉がほかの一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々の相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得るような何かが存在するかのような観念を呼び起こすのである、つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る「原型」というものが存在するかのような観念を与えるのである。』 F.ニーチェ

『いや、もっとはっきりと言えば、「どうとでもなり得る」という多重性こそが、写真の本質なのです。ヴァルター・ベンヤミンの言う「本物にたどり着かない芸術」。そこが写真の一番面白いところなんです。』 ホンマタカシ「楽しい写真」平凡社 p11

 

blind-gallery「ホンマタカシ その森の子供」展
写真集「その森の子供」
ソフトカバー/950部限定/B5変型/288ページ/147図版/フルカラー/定価:4,500円(税込)