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『すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙』展@神奈川県立美術館 葉山【展覧会紹介】

作家であり、作品である“村山知義”

村山知義を知らない人に向けて彼の話をしようとするたびに、私はつい心の中で、小さくため息をついてしまいます。……何をした人? うーん、いろいろ。……代表作ってどんなもん? うーん、いや……彼自身、かなあ。

アヴァンギャルド――1920年代の日本で熱に浮かされたように口にされた用語に翻訳するならば、「新興芸術」の「新興」の部分――という位置にあろうとする者は、当然ながら既存の芸術を全身で否定しなければなりません。いや、否定する身振りこそがアートとなるのでしょう。時代に鋭敏な者、突端に立つものだけが、前衛の栄光を勝ち取ります。後に続く者たちは皆、フォロワーであり、エピゴーネンであり、ただ消費する者。村山という男は、非常にわかりやすい形で自身を「アヴァンギャルドな存在」に仕立て上げ、大正期の日本の芸術シーンをかき回します。さあ、私が全てを否定した! 私自身が、全て新しい!

20年代初頭にベルリンに留学した彼にとって、ダダイズムや未来派の芸術が渦巻く当時のヨーロッパの文化状況は、全く居ても立ってもいられないような興奮に満ちたものだったに違いありません。当時の彼の心中を考えると、少々突飛かも知れませんが、私は明治維新直前の幕府遣欧留学生たちのことを思い出します。すべての脈絡を欠いた状態で、一気に奔流のごとく目前に溢れる最新のテクノロジーと社会状況。これらの目を見張る文物を持ち帰り、太平の眠りを貪っている祖国の人々の前にぶちまけ、覚醒させなければ! 咀嚼する間もなく西欧文化をまるごと飲み込んだ彼ら幕末の若者たちの取った行動は、村山とよく似ています。きりきり舞いするコマのように、様々な催しにのべつ顔を出し、狂ったように本を買い、ある場所では全日本人の代表のように振る舞い、専攻するはずだった部門をさっさと変更して最新のジャンルの研究に取り組み、年限を待たずして勝手に祖国に帰る。状況が彼らをして走らしめるのです。
村山も、当時のヨーロッパの前衛芸術状況とともにベルリンを走り抜け、2000冊の収集書籍と共に1年足らずで帰国します。ともに帰国した永野芳光が持ち帰ったカンディンスキーの油彩(今回展示されています)が、当時の彼らの置かれた位置をよく物語っています。このちょっと驚くような大作とともに極東の小国へ向かった船は、前衛のそのまた突端を切り開く航跡を描いていたということになるのでしょう。

いでよ、モダニズムのシャーマン

それでは、村山知義は帰国後にどのように行動し、何を残したのか。
当時日本で前衛芸術家が為すべきことすべて、というのがわかりやすい答えかもしれません。
今回の展覧会には、帰国後の彼が結成したダダイスティックな芸術運動グループ「Mavo」の繰り広げた様々なパフォーマンスの軌跡も丁寧に拾い上げられていますが、彼らの生み出した作品はほぼ戦禍の中で湮滅してしまい、その時期のもので展示されているのはほとんど展覧会の案内や雑誌、作品の写真です。しかし、静謐で美しいこの美術館でゆるゆるとそれらを眺めていると、次第にモダン都市東京の喧騒が聞こえてくるでしょう。当時の村山はまさに時代の寵児という言葉にふさわしい活躍を見せますが、ちょっと書き出してみるだけで、機関誌「Mavo」の編集、書籍の挿絵と装丁、タブローの制作、展覧会ポスターなどのグラフィック・デザイン、漫画やイラストレーション、立体的な制作物の建造、建築の設計、その壁画描き、演劇の舞台装置デザインと衣装作り、舞台演出、舞踏(おかっぱの長髪を振り乱して踊る!)、エトセトラ・エトセトラ……それらはみな、彼の作品でもあり、時代と状況が必要とした都市の装飾物でもありました。装飾物という表現が軽すぎるならば、モダンな都市が成立するのに欠くべからざるパーツと言い換えてもかまわないでしょう。
震災を経て、東京は村山知義というひとりの偉大なる文化ジェネレーターを得ることによって、新たなモダン都市東京の相貌を備えることになったといっても良いのではないでしょうか。

戦争が近づくと、村山は何度も治安維持法違反で逮捕されるようになります。
彼自身の急速な左傾化がひとつの要因ではありますが、いずれにせよ時代は彼の思いとは関係なく速度を早め、時代そのものを刺激することが役目だった彼には、もはやその相手がいなくなってしまいます。戦争の時代に取り残されるのならば、これは表現者にとって本望かもしれませんが、事はさほど単純ではありません。戦争は最新のファッションをまとって現れます(それがいかに「ダサい」ものであるにしても)。芸術にとっても、そこには次の前衛が──偽物と本物をないまぜにして──立ち現れます。
そして彼の幸運は、後ろから押されて前衛から降りなければならなくなった時期に、都市も文化も殺伐とした様相を強め始めたことだったのです。彼はすんなりと位置を降り、逮捕後は長かったオカッパ頭を丸坊主にします(終生そのままでした)。そして演劇だけが彼の周囲に残されますが、彼の長い戦後は、まるで生まれた時から演劇の専門家であったかのような位置を占めることで成立しました。逮捕や投獄、戦時期の軋轢はもちろん、彼にとって痛恨事であったには違いありませんが、戦争が彼のために今後なすべきことを整理したかのような感があるのも事実です。
今回の展示では、彼の戦後の軌跡はほぼ点景のように扱われ、戦前期のカオスのような活動とその背後にある文化状況が大きくクローズアップされています。その凄まじく刺激的で活力に満ちた展示は、彼の生きたその時代そのものも魅力でもあるでしょう。

 交差する、時代が生んだ二つの“過剰”

さて、私は村山知義の人生を俯瞰するとき、いつのまにか前回ご紹介した今和次郎の生涯について考えていることに気づきます。今和次郎が前衛に背を向けて考現学という手法で地べたに目を向け、村山知義が前衛を体現してMavoを拠点に高みを飛び回るような活動を繰り広げた時期は、ほぼ重なり合います。ともに違った手法で関東大震災後のバラック建築を装飾することを試みているのが良い例でしょう。ともに様々なジャンルに手を出し、活躍し、そしてともに戦争を経て、一方は視野の広い(広すぎる!)アカデミシャンとなり、一方は近代演劇の歴史を体現する大御所となります。対極的ではありますが、ともに荒廃の後に必要とされる才能であったといえるかもしれません。今回、展覧会の時期が重なっていることにも、不思議な因縁を感じざるを得ないのですが、それはまた私たちの目がようやくきちんとあの時代に向き始めたということなのでしょう。

その荒廃の時代からしばらくを経て、幼い私自身の手元にも彼の才能のひとしずくが届きました。
『しんせつなともだち』(福音館書店)という絵本の、深みのあるウサギの絵を見ていると、子どもの頃の懐かしい記憶がよみがえります。彼の数多い童画の仕事は、エキセントリックな若い頃の活動以前から不思議なほど途絶えず続けられていますが、ここに彼の本質的な部分があることは間違いないでしょう。表紙に癇癪玉を貼り付けて発禁を食らった雑誌「Mavo」の展示を見て、帰り際にもう一度最後近くに展示してある『しんせつなともだち』の優しいウサギを見て、ともに叙情のなせる技か、と、愉しい気分で葉山の海を後にしたわけでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙

会場:神奈川県立近代美術館 葉山

会期:2012年2月11日[土・祝]から3月25日[日]まで

開館時間:午前9時30分から午後 5 時まで[入館は午後 4 時 30 分まで]

休館日:月曜日

観覧料 :一般 1,000[900]円/ 20歳未満・学生 850[750]円/ 65歳以上 500円/高校生 100円

20 世紀の初めに生を享け、ベルリンでダダや構成主義などの新興芸術を吸収して 1923 年に帰国、まもなく「マヴォ(MAVO)」や「三科」といったグループの活動を通じて大正末期から昭和初期にかけて日本の近代美術に決定的な影響を与えた村山知義(1901-1977)。

物体を貼り込んだ造形作品や、トランスジェンダーなダンスパフォーマンスなど、ジャンルを横断した目覚ましい活動は、同時代に多くの共感者を生み出しました。
本展は、1920-30 年代に展開された美術の仕事を中心に、その時代背景を伝える国内外の作品・資料を参照しながら、村山知義の宇宙的な多様性を紹介する、初めての大規模な個展です。

(以上「神奈川県立近代美術館 葉山Webサイト」より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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