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服部一成講演会「デザインについて語るのはむずかしい」

ZUAN図案主催の服部一成さんの講演会に行ってきました。感想を記しておこうと思うのですが、とにかくほんとうに感化される講演でした。とても素晴らしい講演だったのでもうただ「感想」を語ることしかできません。服部一成さんのデザインはもとより好きですが、デザインを含めてますます服部一成さんのファンになりました。

なによりも刺激になったのは、直感的な感覚からコンセプトを定めてそれを信念をもって突き詰めていく制作プロセスを知ることができたこと。近年ではデザイナーにもマーケティング的な思考が求められ、また情報の共有や拡散といったダイナミズムが広告コミュニケーションのテーマとなりつつありますが、今回そういった話題は全くといっていいほどありませんでした。それが翻って意外にも新鮮に感じました。
また、服部一成さんの口からあくまで自然に、でも淀みなくぽんぽんと飛び出すデザイナーや画家たちの固有名を聞いているうちに、服部一成さんご自身がグラフィックデザインの魔力に取り憑かれてしまった申し子のような存在で、その身体にはいまだに若い時に見たり知ったりしたデザイン体験が新鮮なまま血のように巡っているんだなとつくづく感じました。ちなみに、どんなアーティストの名前が出てきたかというと、(本来、文脈を無視して名前を羅列しても意味は薄いとは思いますが、これをきっかけに新たに知ったり触れたりするのも貴重な機会かもしれないということで参考までに)「横尾忠則」「湯村輝彦」「福田繁雄」「山口はるみ」「工藤青石(芸大の同期)」「仲條正義」「葛西薫」「デイヴィッド・ホックニー」「ジョエル・マイロウィッツ(CAPE LIGHTのフォントを言及)」「アレクセイ・ブロドビッチ」「木村勝」そしてもちろんライトパブリシテイの「細谷巖」「秋山晶」といった方々など。

キューピーの広告の制作プロセスの話題はやはり興味深かったのですが、「作品に力みは一切ないけど、広告的には冒険している」などの一言一言がとても印象深かったです。
当時、細谷・秋山のゴールデンコンビですでに完成の域に達していたキューピーのクリエイティブ。新しく担当するにあたって、そのいわば出来上がったイメージに対して「技術とか機材とか、時間とお金をしっかりかけて高い完成度を誇るものとは別のもの、たとえば当時注目され始めていたヒロミックスの写真手法のような感覚で…」違うことを試みてみた、というくだりには、ヒロミックスと同世代で“あの時代の感覚”に強烈なシンパシーのある者として凄く興奮しました。
キューピーの広告の印象的なポラロイドなども服部一成さんご自身の撮影ということで、なかには、入稿日のその日に近所で撮影した「壁」の写真なども使われているというエピソードが印象的でした。「広告を作っている人の日常、つまり広告を作っている人の “鮮度”がでるように」キューピーの広告に取り組んでいたとお聞きして、コンセプトを信じて信念をもって取り組むことで生まれる“強度”を感じました。(cf:「広告は所詮作り事だが、この広告を僕がいま作っているということ自体は現実である」服部一成グラフィックスp157)
服部一成さんのアプローチが端的に表現されてる言葉として印象に残っているのが、「普通のやり方で新しい表現をする」という一言。たとえば、キューピーの広告についても、コラージュという雑多な印象が特長的な手法を採用してはいても、「コラージュの持っているごちゃごちゃ感を出さないでバランスを調整する」「あえて(コラージュされた)紙の質感は出さないことで清潔感をもたせる」などの細部に気を配りながら「広告を個人的に見せる」ことを成立させるというテーマに挑んでいます。

先述のように服部一成さんの言葉には、いわゆるマーケティング的な用語や思考がありませんでした。にもかかわらず、アイデアの核となるフレーズには、この「普通のやり方で新しい表現をする」という独特の価値感に支えられた説得力があります。竹尾のペーパーショー用のダイアリー制作時には、アルファベットという(竹尾からの)お題にたいして、文字の造形やルール、文字の整然としたシステムなどの面白さが自然と出るようなものとして「学生が文字を書いて練習しているようなデザインで、文字自体は既存のフォントでありレディーメイドなんだけれども、そこに作ったひと個人の痕跡が見えるようなもの」というアイデアでアプローチしています。また「贈る箱」展のためのパッケージデザインでは、商品として長く時間に耐えるように「へんなことをして、でもそれを成立させるための工夫をする」という普段のアプローチから「リボンという装飾をテーマにしながらムダをなくしていくという思考」で課題に取り組んだということでした。代表的作品となっている「Graphic Trial」の「旗」や「視覚伝達」展の「ケーキ」では「特殊な印刷加工ではなく、印刷の基本である4色分解を網点ではなくストライプに置き換えて表現してみる」というアプローチを行っているということです。

服部一成さんの講演を拝聴する前には、まさかこんなにも若々しく高揚した気持ちになれるとは思っていませんでした。服部一成さんは何か挑発的な発言をされるわけでもなく、また媚びたり迎合するような物言いをされるわけでもなく、ひたすら思い描いたイメージとそれを成立させるためのアプローチやプロセスについて語られます。わたしの感動はその純粋さに打たれたのだと実感しています。昨今とかくわたしたちは、クリエイティブについて、コンサルティング型のアプローチを求められ、それに応えるかたちで戦略的な提案を行います。そのこと自体は成果を出すためのクリエイティブを成立させるためには重要なことだと認識しています。しかし、服部一成さんの講演で、忘れかけていた「デザインの理屈を越えた楽しさ、そして愚直な実験精神の果てにある驚き」について思い出すことができたと思います。信念をもって追求することの強度、ある種なにか飛躍したような魅力、そういったクリエイティブの方法を忘れてはいけないし、それが高度に達成された時にクリエイティブに宿る力を信じなければいけないと強く感じた講演でした。


余談ですが、講演を経て今一度下記の服部一成さんの文章を読むと胸が熱くなります。とにかく訳も分からず一生懸命だった頃に自分なりに追求したことを今もう一度見つめ直して役立ててみよう、そんな風に思います。わたしの場合はデザインよりも映画だったのですが、クリエイティブの情熱の源はカテゴリーを問わず、その「熱に浮かされた感じそのもの」にあるのではないかと思うようになりました。

「私のクリエイティブの根っこ。」
すいどーばた美術学院のWebサイトより
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(前略) あれから20年近い時間がたった。僕は大人になった。コムデギャルソンを買えるようになったし、こうして若い人たちに向けての文章を頼まれるようにもなった。でも、何が変わったというのだろう…?笑われるかもしれないが、僕は今でもいつかゴダールに匹敵するような何かを創るつもりでいるし、一方では今やっている仕事がひどい失敗に終わるのではないかという不安におびえている。表現にかかわる仕事は、安定のないきびしい世界だ、でもだからこそ素晴らしく楽しくて、一生をかけるだけの価値もあるのだと思う。

 大きなパネルバックを抱えてすいどーばたに通っている自分を今でもありありと思い浮かべることができる。あのころ、僕は本当に平凡な、才能のない学生だった。ただ、とにかくびっくりするほど一生懸命だった。自分という苗を育てるために、毎日水をやり、必死で肥料を探して与え、いつか花が咲くことをけなげに信じていた。すいどーばたで学んだ造形の基礎、ものの見方は、もちろんいまの毎日の仕事をする上でとても役立っているのだが、それ以上に、あれほど真剣になれたということ、そのことが、僕をささえるひとつの大きな自信になっている。
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服部一成グラフィックス [大型本]

注)
なお服部一成さんの言葉として引用しているのは講演時の私的なメモを元にしていますので、ご本人の発言とは異なります。意訳して掲載している点をご理解ご了承下さい。誤解や間違いがあればお詫びして訂正致します。
写真は講演会主催のzuan図案のWebサイトより転載。